そもそも、「努力をした方が良い」みたいな考え方が嫌いだ。
うまくやるなら、努力せずにうまくやれる分野を見つけて、そこで過ごした方が良い。
努力したからといって、成果が出るわけではない。根本的に向いていない種目を選んでいる可能性がある。自分よりも頑張っていないやつが自分よりも成果を出すことなんてよくある話だ。なら、根本的に向いている種目を選んで、努力をせずに努力しているヤツよりも成果を出せばいい。成果を出すだけの世界なら、だ。
ただ、人類は愚かである。「どうしてもここで勝ちたい」と思ってしまうことがある。その才能がないにも関わらず。どうしようもなく囚われてしまっている。それは自分に向いているかは関係がない。単に、「どうしてもここで勝ちたい」と思ってしまっただけだ。それを目標と呼んだりすることもある。
根本的に向いていないにも関わらず、そこで成果を出したいと思ってしまったらどうすればいいのか?
努力するしかないのだ。
才能があるか?向いているか?そんなことは一切関係がない。「どうしてもここで勝ちたい」そう思ってしまったのなら、やるしかないのだ。
「どうしてもここで勝ちたい。でも才能がない。」
「なら辞めるか?」
「いいや、やめられない。」
「だって、どうしてもここで勝ちたいからだ。」
「どうしてもここで勝ちたい。そして才能があった。」
「なら努力しないのか?」
「いいや、努力する。」
「だって、どうしてもここで勝ちたいからだ。」
努力するかしないか。実はそれは才能の有無に関係ない。その目標に今の自分が達しているかどうかだけだ。目標があって、努力ができないのなら、それは「本当にやりたいと思えていないだけ」だろう。より優先すべきことがあっただけだ。呪いが足りない。もっと呪われなくてはならない。
そもそも、「努力をした方が良い」みたいな考え方が嫌いだ。
目標があるなら努力した方が良いと思う。でも、そもそも目標を持たないで生きる生き方だってある。そこに努力なんていらない。楽しく生きることだってできる。努力しなければならないなんて嘘だ。条件つきの行為でしかない。むしろ、努力なんてするべきじゃないってシーンすらある。好きこそものの上手なれという言葉だってある。
でも、もし目標があるのなら、努力した方が良い。というか、しなければならない。する以外の選択肢はない。だって、「どうしてもここで勝ちたい」んだから。囚われているんだから。
努力できないのなら呪いが足りないんだろう。
呪いが足りない。
もっと呪いを。
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