大人になること、クソなこと

小さなころは無敵だった。なんだってできるし、なんにでもなれた。

それが、成長のなかでいろんな壁にぶち当たる。

「あれ?これできないや」

「頑張ったのに、失敗しちゃった」

「なんだか最近ネガティブなんだ」

だって。

それは悪い事じゃないよ。自分にやれることは何かを考えてる。現実を生きてる。

空を飛べると勘違いして、ビルから飛び降りちゃいけないから。

それが大人になるってことだから。

でもね、やっぱりクソなんだ。この世界は。社会は。クソくらえ。

誰だってやりたいことがある。でも、そのやりたいことを「どうせものにならないから」って諦めさせてしまう。他人に直接そう言われるわけじゃない。でも、知らずにそう感じてしまう。

「役に立つか?」「うまくやれるか?」

クソみたいな言葉で心はくじかれる。

やっぱりクソなんだ。本当のところ、やりたいことに役に立つとか、うまくやれるとかは関係ない。

俺たちの生きるこの世界は『やりたいこと』と『仕事』を結び付けてこようとする。そんなの嘘なのに。別にやりたいことを仕事にしなくてもいいんだ。生きていくのに仕事が必要だとして、それが真実だとしても、どうして、『やりたいこと』を仕事にしなきゃいけないんだ。

別にやりたいことを仕事にしなくたっていい。考えてみれば当たり前のことなのに。

そりゃ仕事にするなら「役に立つ」とか「うまくやれる」とかが大切だ。人よりも少ない時間で多くの成果を出せる方が良い。でも、『やりたいこと』には関係ないだろう。だってやりたいことなんだから。

絵が下手だって描きたきゃ描けばいい。イラストレーターとして食って行きたいならうまくなれ。

野球が下手だってやりたきゃやればいい。プロ野球選手になるにはうまくなれ。

全然関係ないだろう?『やりたいこと』と「うまくやれる」ってことは。

大人になると、色んな事が複雑になってしまう。『やりたいこと』とか『仕事』とか『役に立つか』とか『ものになるか』とか。全部がごちゃ混ぜにして考えてしまう。そんなの嘘なのに。

『仕事』をするなら、自分の立ち位置を測って役に立つとか、ものになるかを考えた方がいい。飯は食っていかなきゃならない。大人になるってそういうことだろ。良いじゃないか。現実。大いに結構だ。

でも、『やりたいこと』はそうじゃない。どうでもいい。うまくやるとか、役に立つとかクソくらえだ。なんだっていい。やりたいことがあって、今持っている能力で足りないなら、練習すればいいよ。やりたいことがあるなら、やるしかないじゃないか。結果的にものにならなくてもいい。気にしなくていい。そんなことは仕事にやらせておけばいい。だから安心して今から始めたらいい。

その足かせになるなら、『やりたいこと』に仕事を結び付けようとするなら、『やりたいこと』に向かって成果を求めさせるなら、やっぱり世界はクソなんだって言うしかない。

本当はもっと単純なことなのに。

「役に立つか?」「うまくやれるか?」

クソみたいな言葉で心はくじかれる。

この世界はクソだ。

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