とてもいい。
SNSはアルゴリズムによって、自分のキャラクターに特化した情報しか書けなくなってしまった。
いや、もしかしたらインターネットで生きていこうとする自分の問題かもしれない。いずれにしても、最早SNSには好き勝手書くことができなくなってしまった。誰かに見られているという感覚もそうだ。
さらに、AIの登場も大きかった。誰かに向けて何かを書くという行為があまりに簡単になってしまった。しかし、全然面白くないのだ。誰かに向けて書いても自分には語りかけてくれない。
このページでは誰かに向けて書く必要はない。自分のために書ける。それはとてもすばらしいことだ。構成がへたくそでも問題ない。少し良くない言葉遣いしても問題はない。ここでは、見知らぬ多くの人に向けて文章は書かなくて良いのだ。
自分のため、さらに私を良く知ってくれているあなたのため。それ以上は求めない場所だ。それはとても心地よい。たこやき屋さんではない自分を出してもいいのだろうか?ブランディングは?そんなことを気にせず言葉を紡げるというのは自由だ。呼吸ができる。
それでも自分だけしか見えない文章はあまり意味がない。これまでの経験から自分はそういうスタイルなのだと理解した。多くの人には見られたくない。でも、誰にも見られないのも嫌だ。面倒くさいがそうなのだろう。俺のことをわかってくれるお前に見てほしい。わがまま。
役割の中で生きることによってしか見えない景色も確かにある。ただ、それだけだと息苦しい。
これから、このホームページでは好き勝手書いていくことになる。もし読んでくれるのであれば嬉しい。インターネット上に自分の場所があるのは心地よい。
続くかどうかはわからない。でも、今の自分は呼吸できていることを感じている。吸って、吐いて。
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